NHKで選挙に関する学生のTwitterについてのニュースがあった。
それによると学生は選挙の内容をTwitterでは話していないらしい。
それは選挙が学生生活と乖離しているのが原因なのだそうだ。
Twitterで何でも話すのが当たり前の学生なのに選挙の話をしないのはおかしい!
アホか。
スタッフがアホなのは仕方ないが、学生を無知呼ばわりするのはやめろ。
公職選挙法にてネットを利用した選挙運動については細かい規定がある。
基本的にはTwitterでできないことはないのだが、電子メールでは不可である。
候補者や政党のURLなどの記載もOKだが送信先が多い場合はグレー。
そして『選挙当日は選挙運動不可』。
若い彼らはこれらを詳細には知らないかもしれない。
だが彼らは知っている、教わっている。
『ネットでは余計なことをしない方がいい』
『分からなかったら手を触れない』
詐欺や出会い系などに接する可能性などを考慮して彼らはネットの怖さを教育されている。
少なくとも世間知らずのNHKスタッフとはこの分野の知識が違うのである。
個人差はあるが、彼らはネットでの誹謗中傷を避けるのだ。
Twitterとは公開日記帳であり記録が残ることを彼らは知っている。
もう一つ彼らには高度な検索能力がある。
Twitterやブログで選挙の話をしてもいいのかどうか。それをスマホで瞬時に調べることなど彼らには容易だ。
そこで公職選挙法について知識を得た可能性はかなり高い。
難しく聞こえるが、彼らにとってこれらは基本的すぎる知識でしかない。
NHKは若者には知識がないことを前提に番組を作成していたが、まずお前らが勉強してこいと言わざるを得ない。
というか自らが間違っている可能性を全く考えていないようなのが致命的だった。
なんなんだあの上から目線。
これで金取ってんのか・・・
世間から斜めにズレ続けるブログ
ネタ:ニュース、政治、経済、ゲーム、その他
2016年7月11日月曜日
2016年7月10日日曜日
謎の国債格下げニュース
日本国債の格下げの話を聞く。
聞くのだが、
結局何が言いたいのか分からない。
国債格下げのデメリットって「国債が買われなくなること」ではないの?
日本の国債買われまくってるって聞いているけど。
マネーゲーム?
メリットデメリットはなに?
記事にはさっぱり書いてないんだけど。
書いてないよね?
記事が片手落ちなのか、私の理解力不足なのか。
どっち?
聞くのだが、
結局何が言いたいのか分からない。
国債格下げのデメリットって「国債が買われなくなること」ではないの?
日本の国債買われまくってるって聞いているけど。
マネーゲーム?
メリットデメリットはなに?
記事にはさっぱり書いてないんだけど。
書いてないよね?
記事が片手落ちなのか、私の理解力不足なのか。
どっち?
2016年7月8日金曜日
民進党が憲法改正反対派だというデマが流れているとか
民進党が憲法改正反対派だというデマがあるらしい。
なぜだ。
そんなこと党としては一言も言っていないどころか改正すると言っているのに。
岡田党首も「”安倍政権下での”憲法改正に反対」としか発言していない。
改正そのものは否定していない。
そして民進党HPでも見られる公約にもこうある。
「平和主義を脅かす憲法9条の改正に反対」
断固反対ならこのような冗長な文章は不要だ。絶対に改正しないと書けばいい。
要するに
「平和主義を脅かさない憲法9条の改正」には反対していない。
読み方がおかしいと言う人もいるかもしれないが、その説明内に次のようにある。
「制約のない集団的自衛権の行使を憲法上認めることは許されません」
民進党が逆らってはならぬとする憲法学者のほとんどが「集団的自衛権の行使は違憲」だと言っている中で、「制約のない」という文言を入れる必要はないはずだ。
もちろん「集団的自衛権の行使は違憲」なのだから制約もへったくれもない。
だがなぜこれがあるかというと民進党の推す領域警備法案は「制約付きの集団的自衛権の行使を認めている」からである。
つまり自民党案はダメだが民進党案ならOKなのである。
すると「憲法9条の改正に反対」の文章も『「平和主義を脅かさない」という条件がクリアされれば民進党政権下では可能だ』と読むのが正しいのではないかという論理が成り立つ。
そして憲法改正については次の公約もある。
「未来志向の憲法を国民とともに構想します」
そのまんま「憲法を変えていきますよ」と言っている。
これに憲法9条は明記されていないが違うとも書いていない。
書いてないならやらないのだろう、ではない。
民主党時代は書いてあってもやらなかったのだ。やらないと信じる理由は全くない。
それにこの記事は憲法改正の記事であって9条改正の記事ではない。
憲法改正は民主党の公約なのである。
色々書いたが憲法9条についてはグレー記述の領域も多い。
しかし上記のように、民進党が憲法改正自体に反対だという話はデマである。
改正自体はすると公約に書いてある。
残念ながら具体案は謎である。
ただ民進党が国民の権利を制限しないという幻想は棄てた方がよいだろう。
数年前に話題となった「特定秘密保護法」だが、これが議論され始めたのは自民党政権時代ではない。民主党政権時代である。
尖閣での衝突事件をきっかけに有識者会議も通過して国会通過は目の前であったのが民主党政権瓦解とともに先送りされて自民党が継続しただけの話である。
マスコミへの圧力に関しては"民進党お前が言うな"の一言で終わる話である。
昨日も岡田氏が都議選ではなく参院選に目を向けろとマスコミに圧力かけてたしね。
政治家がマスコミに苦言を申し立てるのは追い詰められているときだけなのだが、自民党にも民進党にもあまり余裕が見えないのが非常に悲しい。
憲法の如何なる文言修正も許さないとする人は残念ながら投票先はない。
ないのだ。
各党の公約をよく読もう。
誰もが後悔しない選挙が実現するといいなあとか お花畑な文章で締め。
なぜだ。
そんなこと党としては一言も言っていないどころか改正すると言っているのに。
岡田党首も「”安倍政権下での”憲法改正に反対」としか発言していない。
改正そのものは否定していない。
そして民進党HPでも見られる公約にもこうある。
「平和主義を脅かす憲法9条の改正に反対」
断固反対ならこのような冗長な文章は不要だ。絶対に改正しないと書けばいい。
要するに
「平和主義を脅かさない憲法9条の改正」には反対していない。
読み方がおかしいと言う人もいるかもしれないが、その説明内に次のようにある。
「制約のない集団的自衛権の行使を憲法上認めることは許されません」
民進党が逆らってはならぬとする憲法学者のほとんどが「集団的自衛権の行使は違憲」だと言っている中で、「制約のない」という文言を入れる必要はないはずだ。
もちろん「集団的自衛権の行使は違憲」なのだから制約もへったくれもない。
だがなぜこれがあるかというと民進党の推す領域警備法案は「制約付きの集団的自衛権の行使を認めている」からである。
つまり自民党案はダメだが民進党案ならOKなのである。
すると「憲法9条の改正に反対」の文章も『「平和主義を脅かさない」という条件がクリアされれば民進党政権下では可能だ』と読むのが正しいのではないかという論理が成り立つ。
そして憲法改正については次の公約もある。
「未来志向の憲法を国民とともに構想します」
そのまんま「憲法を変えていきますよ」と言っている。
これに憲法9条は明記されていないが違うとも書いていない。
書いてないならやらないのだろう、ではない。
民主党時代は書いてあってもやらなかったのだ。やらないと信じる理由は全くない。
それにこの記事は憲法改正の記事であって9条改正の記事ではない。
憲法改正は民主党の公約なのである。
色々書いたが憲法9条についてはグレー記述の領域も多い。
しかし上記のように、民進党が憲法改正自体に反対だという話はデマである。
改正自体はすると公約に書いてある。
残念ながら具体案は謎である。
ただ民進党が国民の権利を制限しないという幻想は棄てた方がよいだろう。
数年前に話題となった「特定秘密保護法」だが、これが議論され始めたのは自民党政権時代ではない。民主党政権時代である。
尖閣での衝突事件をきっかけに有識者会議も通過して国会通過は目の前であったのが民主党政権瓦解とともに先送りされて自民党が継続しただけの話である。
マスコミへの圧力に関しては"民進党お前が言うな"の一言で終わる話である。
昨日も岡田氏が都議選ではなく参院選に目を向けろとマスコミに圧力かけてたしね。
政治家がマスコミに苦言を申し立てるのは追い詰められているときだけなのだが、自民党にも民進党にもあまり余裕が見えないのが非常に悲しい。
憲法の如何なる文言修正も許さないとする人は残念ながら投票先はない。
ないのだ。
各党の公約をよく読もう。
誰もが後悔しない選挙が実現するといいなあとか お花畑な文章で締め。
2016年7月5日火曜日
選挙というのはより良い人を選ぶもの
なにか奇怪な論がまかり通っているようだ。
「○○党はダメだから××党に入れよう」
いや、まてまて。
その××党が○○党よりもっと悪かったらその理論はおかしい。
せめて××党は○○党より正しいとか少しはマトモだとか、なにか理由がないと変ではないか。
変というより、より悪い方を選んだら選挙の意味ないじゃん。
いい方選ぼうよ。
もちろん「いい方」の基準は千差万別である。
だがそれでいいのだ。
それを集計して多い方を選択していくのが議会制民主主義だ。
みんな一緒では意味がない。
もちろんみんなバラバラがいいのではない。
個々人が自らの意思を正しく表明できたかどうかが重要なのだ。
だからみんなが○○をいいと言ってるとか××が○○はダメだと言ってた、なんてのは、それは違う。
選考基準にするのはいいけど、それは本当なのか?を自分で考えるべきだ。
自分の意見と比べてみて言っていることが正しいと思える方を選ばねばならない。
もしかしたら有力候補への自己評価が100点満点中5点ほどしか付けられないときもあるかもしれない。
しかしだからといって単純に排除してはならない。
もしかしたら他の候補は3点や0点かもしれない。
消去法というのは全てに点を付けてから行うものである。
ただ「○○が嫌いだからその他」という短絡的な選択では後で必ず後悔する。
それは「考えていない」からだ。
政権交代は「○○はダメかも」という単純な話で行われてしまうことがある。
××がもっとダメだったとしてもだ。
例えば先日のイギリスのEU離脱騒動がそうだ。
いい加減な投票をした離脱派が文句を言っているが後の祭り。
後悔は先に立たないのだ。
「選ぶ候補は自分が正しいと思えることを言っているか」
それを考慮しなければならない。
それは主権を持つ国民の義務である。
そして先人たちが必死に守ってきた権利である。
これを子孫に伝えねばならぬ責務がある。
誰にも任せず、自分で考えよう。考え尽くそう。
そして自らの権利を示そう。
それなくして何が人か。
「○○党はダメだから××党に入れよう」
いや、まてまて。
その××党が○○党よりもっと悪かったらその理論はおかしい。
せめて××党は○○党より正しいとか少しはマトモだとか、なにか理由がないと変ではないか。
変というより、より悪い方を選んだら選挙の意味ないじゃん。
いい方選ぼうよ。
もちろん「いい方」の基準は千差万別である。
だがそれでいいのだ。
それを集計して多い方を選択していくのが議会制民主主義だ。
みんな一緒では意味がない。
もちろんみんなバラバラがいいのではない。
個々人が自らの意思を正しく表明できたかどうかが重要なのだ。
だからみんなが○○をいいと言ってるとか××が○○はダメだと言ってた、なんてのは、それは違う。
選考基準にするのはいいけど、それは本当なのか?を自分で考えるべきだ。
自分の意見と比べてみて言っていることが正しいと思える方を選ばねばならない。
もしかしたら有力候補への自己評価が100点満点中5点ほどしか付けられないときもあるかもしれない。
しかしだからといって単純に排除してはならない。
もしかしたら他の候補は3点や0点かもしれない。
消去法というのは全てに点を付けてから行うものである。
ただ「○○が嫌いだからその他」という短絡的な選択では後で必ず後悔する。
それは「考えていない」からだ。
政権交代は「○○はダメかも」という単純な話で行われてしまうことがある。
××がもっとダメだったとしてもだ。
例えば先日のイギリスのEU離脱騒動がそうだ。
いい加減な投票をした離脱派が文句を言っているが後の祭り。
後悔は先に立たないのだ。
「選ぶ候補は自分が正しいと思えることを言っているか」
それを考慮しなければならない。
それは主権を持つ国民の義務である。
そして先人たちが必死に守ってきた権利である。
これを子孫に伝えねばならぬ責務がある。
誰にも任せず、自分で考えよう。考え尽くそう。
そして自らの権利を示そう。
それなくして何が人か。
2016年6月30日木曜日
共産主義圏では人を殺す予算があるのは当たり前
共産党の人物が防衛費を人を殺す予算と発言して撤回したらしい。
が、本人としては矛盾はなかったのではないだろうか。
撤回するのは理不尽と感じたものだろう。
共産主義とは「利益を皆で分け合えば公平だよね」って世界を目指すものである。
すると個人で利益を追求する者は『敵』ということになる。
ではこの敵をどうするか。
平和的に国外追放する?
いやいや、追放先でその人物がより幸せになったら問題だ。
共産主義への中傷を行われたら困るし、連鎖して共産主義から抜ける者が現れたらそれも困る。
ではどうするかというと、死んでもらうか強制収容されてもらうしかない。
どちらにしても人生終わり=死である。
これは推測でもなんでもなく、共産主義を実現する上での現実であり、共産主義圏で繰り返されてきた歴史である。
つまりそもそも「人を殺す予算がない」という発想が共産主義者にはない。
それに加えて『利益を追求する者が敵』という原則を続けていると、利益を追求する者がいなくなってしまうのである。そりゃ誰も敵にはなりたくない。
文字通りであり当然の帰結である。
すると国が疲弊する。
なにせ利益を追求しないのだから。
ではどうするか?
自国を広げるのだ。
中に無いなら外に行けばよい。
つまり侵略して利益を奪えばよい、という方向にしか進む道はない。
つまり人を殺して奪うわけである。
よってやはり「人を殺す予算がない」という発想は共産主義からは生まれない。
人を殺さずに共産主義が実現できないという現実を理解すると、共産主義者の言っていることが分かってくる。
そしてそれをして平和主義を謳う欺瞞も見えてくる。
問題は資本主義も暴走すると行き着く先は戦争だということであり、
要はバランスが大事なのだが、
全部のいいとこ取りの主義ってないのかな。
ただし共産主義には全てを解決する状態も存在する。
全員貧乏になるという状態である。
この状態で助け合いの精神が残っていれば完璧な共産主義が実現する。
まあその状態で助け合いの精神が残るはずもなく、結局最後は誰もいなくなる。
しかし最後の一人になったとき、やはりそこに完璧な共産主義は存在するのである。
まあ要するに無理なのである。
が、本人としては矛盾はなかったのではないだろうか。
撤回するのは理不尽と感じたものだろう。
共産主義とは「利益を皆で分け合えば公平だよね」って世界を目指すものである。
すると個人で利益を追求する者は『敵』ということになる。
ではこの敵をどうするか。
平和的に国外追放する?
いやいや、追放先でその人物がより幸せになったら問題だ。
共産主義への中傷を行われたら困るし、連鎖して共産主義から抜ける者が現れたらそれも困る。
ではどうするかというと、死んでもらうか強制収容されてもらうしかない。
どちらにしても人生終わり=死である。
これは推測でもなんでもなく、共産主義を実現する上での現実であり、共産主義圏で繰り返されてきた歴史である。
つまりそもそも「人を殺す予算がない」という発想が共産主義者にはない。
それに加えて『利益を追求する者が敵』という原則を続けていると、利益を追求する者がいなくなってしまうのである。そりゃ誰も敵にはなりたくない。
文字通りであり当然の帰結である。
すると国が疲弊する。
なにせ利益を追求しないのだから。
ではどうするか?
自国を広げるのだ。
中に無いなら外に行けばよい。
つまり侵略して利益を奪えばよい、という方向にしか進む道はない。
つまり人を殺して奪うわけである。
よってやはり「人を殺す予算がない」という発想は共産主義からは生まれない。
人を殺さずに共産主義が実現できないという現実を理解すると、共産主義者の言っていることが分かってくる。
そしてそれをして平和主義を謳う欺瞞も見えてくる。
問題は資本主義も暴走すると行き着く先は戦争だということであり、
要はバランスが大事なのだが、
全部のいいとこ取りの主義ってないのかな。
ただし共産主義には全てを解決する状態も存在する。
全員貧乏になるという状態である。
この状態で助け合いの精神が残っていれば完璧な共産主義が実現する。
まあその状態で助け合いの精神が残るはずもなく、結局最後は誰もいなくなる。
しかし最後の一人になったとき、やはりそこに完璧な共産主義は存在するのである。
まあ要するに無理なのである。
2016年6月26日日曜日
アベノミクスの是非が焦点とか言う阿呆らにうんざり
マスコミは参議院選挙の焦点をまとめる気がないようだ。
アベノミクスの是非が問われるとしても、それはアベノミクスを止めたら良くなる方策がある場合に限る話であって、「止めた後どうするか知らんけど気に入らないから止めようか」では理性的な判断とは言えない。
なぜアベノミクスの問題点を論理的に説明しないのか。
野党もより良い経済政策発表する気は無いようで、とりあえず反対したら意見を言っているように見えるのではないかと考えているようにしか見えない。
まあ問題はそれを信じる国民が意外と多いことにもあるのだが。
しかし野党はこの程度の論調で政権盗れると思っているのかね。
最近は野党と野盗の区別がつかなくなってきた感がある(個人の感想です)。
それはさておいても問題はマスコミだ。
アベノミクスの三本の矢は金融政策、財政政策、成長戦略である。
しかし金融政策以外の矢が飛んだ気配がない。
財政政策に法人税減税以外の内容はあるのか。あるなら効果が出た内容はあるのか。
成長戦略とはなんなのか。規制緩和で何か成果はあったのか。そもそも緩和政策してるのか。
問題点や突っ込みどころは満載だと思うのだが、どのマスコミもアベノミクスの評価を避けているように見える。
これは裏があって評価できないのか、そもそも評価する能力がないのか。
野党の経済政策を聞き取ることすらできない取材能力から察するに、評価するよう能力の方がないのだろうと考えざるを得ない。
これはジャーナリズムの危機だよなぁ。まあ昔から大差ないけど。
経済政策の対比ができないから憲法等の別の問題を持ち出しているようだけど、
まあそこも重要なんだけど政策の取材不足の理由にはならんよね。
取材して野党に経済戦略がないことが分かったならそれを公表してもらわねば国民の知る権利の侵害およびマスコミとしての責任放棄になるのだが、ホントに取材してるのかね、マスコミ。
ちゃんと取材して記事を書けるのって文春だけなのかー?
本来はアベノミクスvsオカダミクスvsシイミクス、とかになるはずなんだよね。
そうでないならどうやって是非を判断するのさ。
それに民進党が出してる領域警備法では集団的自衛権を一部認めてるんだよね。これ解釈改憲と違うんかいと。しかし民進党もマスコミもこれには一切触れやしない。
なんか野党もマスコミも自らの無能を晒すことで与党を応援しているのではないだろうかと思ってしまうのだが、、、もしかすると本当に無能なのか。
アベノミクスの是非が問われるとしても、それはアベノミクスを止めたら良くなる方策がある場合に限る話であって、「止めた後どうするか知らんけど気に入らないから止めようか」では理性的な判断とは言えない。
なぜアベノミクスの問題点を論理的に説明しないのか。
野党もより良い経済政策発表する気は無いようで、とりあえず反対したら意見を言っているように見えるのではないかと考えているようにしか見えない。
まあ問題はそれを信じる国民が意外と多いことにもあるのだが。
しかし野党はこの程度の論調で政権盗れると思っているのかね。
最近は野党と野盗の区別がつかなくなってきた感がある(個人の感想です)。
それはさておいても問題はマスコミだ。
アベノミクスの三本の矢は金融政策、財政政策、成長戦略である。
しかし金融政策以外の矢が飛んだ気配がない。
財政政策に法人税減税以外の内容はあるのか。あるなら効果が出た内容はあるのか。
成長戦略とはなんなのか。規制緩和で何か成果はあったのか。そもそも緩和政策してるのか。
問題点や突っ込みどころは満載だと思うのだが、どのマスコミもアベノミクスの評価を避けているように見える。
これは裏があって評価できないのか、そもそも評価する能力がないのか。
野党の経済政策を聞き取ることすらできない取材能力から察するに、評価するよう能力の方がないのだろうと考えざるを得ない。
これはジャーナリズムの危機だよなぁ。まあ昔から大差ないけど。
経済政策の対比ができないから憲法等の別の問題を持ち出しているようだけど、
まあそこも重要なんだけど政策の取材不足の理由にはならんよね。
取材して野党に経済戦略がないことが分かったならそれを公表してもらわねば国民の知る権利の侵害およびマスコミとしての責任放棄になるのだが、ホントに取材してるのかね、マスコミ。
ちゃんと取材して記事を書けるのって文春だけなのかー?
本来はアベノミクスvsオカダミクスvsシイミクス、とかになるはずなんだよね。
そうでないならどうやって是非を判断するのさ。
それに民進党が出してる領域警備法では集団的自衛権を一部認めてるんだよね。これ解釈改憲と違うんかいと。しかし民進党もマスコミもこれには一切触れやしない。
なんか野党もマスコミも自らの無能を晒すことで与党を応援しているのではないだろうかと思ってしまうのだが、、、もしかすると本当に無能なのか。
2016年5月17日火曜日
「ホワイトハッカー」なんて単語ができてたのか
新聞記者は未だに「ハッカー」の意味が分かってないようだ。
読売新聞に至っては、良い者を「ホワイトハッカー」、悪い者を「ブラックハッカー」と呼ぶんだよとか注釈していたよ・・・これマジだよ?
ブラックハッカーとかググっても出てこないよ。
だってそんな単語ないもん。
日本語ができない人が記事書いてるって大丈夫なのか?この新聞。
そもそもハッカーとはコンピュータに詳しい者のことである。
IT界とはそもそもハッカーの集団が構成しているため、当然ハッカーという単語そのものに善悪のニュアンスは全くない。
しかしコンピュータを悪用する者は許されない。
そのような者は悪意をもってクラッカーと呼ばれるのだ。
これがIT界での常識。
ところが理解力が乏しい誰かが「ハッカー」を「コンピュータを悪用する者」と定義付けたらしく一般人の認識も「ハッカー=悪者」になっていった。
なので一般人の思考では「ホワイトハッカー」という単語を聞いたとき、
「そっか、ハッカーの中にも良い人がいてそれをホワイトハッカーって呼ぶんだ」
と考える。
違う。ハッカーには基本的に悪人は含まれない。それはクラッカー。
しかし今さら一般人の思考も新聞記者の知識も更新されないらしい。
不思議だ。
おそるべきはマスコミ。
このようないい加減な情報を流布して訂正もせずにのうのうとしていられる不思議
。
アホしかおらんのだろうか。
読売新聞に至っては、良い者を「ホワイトハッカー」、悪い者を「ブラックハッカー」と呼ぶんだよとか注釈していたよ・・・これマジだよ?
ブラックハッカーとかググっても出てこないよ。
だってそんな単語ないもん。
日本語ができない人が記事書いてるって大丈夫なのか?この新聞。
そもそもハッカーとはコンピュータに詳しい者のことである。
IT界とはそもそもハッカーの集団が構成しているため、当然ハッカーという単語そのものに善悪のニュアンスは全くない。
しかしコンピュータを悪用する者は許されない。
そのような者は悪意をもってクラッカーと呼ばれるのだ。
これがIT界での常識。
ところが理解力が乏しい誰かが「ハッカー」を「コンピュータを悪用する者」と定義付けたらしく一般人の認識も「ハッカー=悪者」になっていった。
なので一般人の思考では「ホワイトハッカー」という単語を聞いたとき、
「そっか、ハッカーの中にも良い人がいてそれをホワイトハッカーって呼ぶんだ」
と考える。
違う。ハッカーには基本的に悪人は含まれない。それはクラッカー。
しかし今さら一般人の思考も新聞記者の知識も更新されないらしい。
不思議だ。
おそるべきはマスコミ。
このようないい加減な情報を流布して訂正もせずにのうのうとしていられる不思議
。
アホしかおらんのだろうか。
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