2016年4月27日水曜日

最近のメディアリテラシーの高まりに驚いた

メディアリテラシーとはメディアからの情報を取捨選択する能力のことである。
これが日本人、とてもとてつもなく弱かった。
メディアの情報を鵜呑みにして自らの意見より優先する人の多かったこと・・・

しかし今回の熊本地震の報道では違った。
マスコミの行動はおかしいのではないかと方々から情報が寄せられた。
そして謝罪に追い込まれたマスコミも複数。
一昔前ならここまで騒ぎにならなかっただろう。
とても健全なことだと思う。
ここまでリテラシーが上がった理由はインターネットの発達だろう。
テレビ局中継車のガススタ割り込みもTwitterでの報告なのだそうだ。
たった一人の投稿が大会社を追い込める。
これがペンの力であり、マスメディアの原点だろう。
むろんネットには功罪があり、地震の最中にガセネタも飛び交ったようだ。
しかしネットは相互監視の場でありガセネタもそれほど広まらず消えたという。
マスコミだけが情報を流していた時代には考えられない健全さである。
というか既存マスコミには自浄能力が乏しいのでそれ以前の話であるが。

それにしても今回の震災では特にテレビ関連のマスコミ劣化が目立った。
「動画でなければならない情報」が全く出てこない。
ただそこに居て喋ってるだけ。
届く映像は動きのないものばかり。
写真でも全く問題ない、と言うより各地の写真を送れるだけ送ってスタジオで専門家が解説した方が有意義だ。
現地中継の意味の無さに愕然とする。
あれではあらゆる意味で邪魔にしかなるまい。
メディアリテラシーの向上はメディア不振も原因なのだろうなとテレビを見ていて強く思った。