2016年7月11日月曜日

ネットリテラシーの低いNHKニュース

NHKで選挙に関する学生のTwitterについてのニュースがあった。
それによると学生は選挙の内容をTwitterでは話していないらしい。
それは選挙が学生生活と乖離しているのが原因なのだそうだ。
Twitterで何でも話すのが当たり前の学生なのに選挙の話をしないのはおかしい!

アホか。
スタッフがアホなのは仕方ないが、学生を無知呼ばわりするのはやめろ。

公職選挙法にてネットを利用した選挙運動については細かい規定がある。
基本的にはTwitterでできないことはないのだが、電子メールでは不可である。
候補者や政党のURLなどの記載もOKだが送信先が多い場合はグレー。
そして『選挙当日は選挙運動不可』。

若い彼らはこれらを詳細には知らないかもしれない。
だが彼らは知っている、教わっている。
『ネットでは余計なことをしない方がいい』
『分からなかったら手を触れない』
詐欺や出会い系などに接する可能性などを考慮して彼らはネットの怖さを教育されている。
少なくとも世間知らずのNHKスタッフとはこの分野の知識が違うのである。
個人差はあるが、彼らはネットでの誹謗中傷を避けるのだ。
Twitterとは公開日記帳であり記録が残ることを彼らは知っている。
もう一つ彼らには高度な検索能力がある。
Twitterやブログで選挙の話をしてもいいのかどうか。それをスマホで瞬時に調べることなど彼らには容易だ。
そこで公職選挙法について知識を得た可能性はかなり高い。
難しく聞こえるが、彼らにとってこれらは基本的すぎる知識でしかない。

NHKは若者には知識がないことを前提に番組を作成していたが、まずお前らが勉強してこいと言わざるを得ない。
というか自らが間違っている可能性を全く考えていないようなのが致命的だった。
なんなんだあの上から目線。
これで金取ってんのか・・・

2016年7月10日日曜日

謎の国債格下げニュース

日本国債の格下げの話を聞く。
聞くのだが、
結局何が言いたいのか分からない。

国債格下げのデメリットって「国債が買われなくなること」ではないの?
日本の国債買われまくってるって聞いているけど。
マネーゲーム?
メリットデメリットはなに?
記事にはさっぱり書いてないんだけど。
書いてないよね?

記事が片手落ちなのか、私の理解力不足なのか。
どっち?




2016年7月8日金曜日

民進党が憲法改正反対派だというデマが流れているとか

民進党が憲法改正反対派だというデマがあるらしい。
なぜだ。
そんなこと党としては一言も言っていないどころか改正すると言っているのに。

岡田党首も「”安倍政権下での”憲法改正に反対」としか発言していない。
改正そのものは否定していない。
そして民進党HPでも見られる公約にもこうある。
「平和主義を脅かす憲法9条の改正に反対」
断固反対ならこのような冗長な文章は不要だ。絶対に改正しないと書けばいい。
要するに
平和主義を脅かさない憲法9条の改正」には反対していない。
読み方がおかしいと言う人もいるかもしれないが、その説明内に次のようにある。
「制約のない集団的自衛権の行使を憲法上認めることは許されません」
民進党が逆らってはならぬとする憲法学者のほとんどが「集団的自衛権の行使は違憲」だと言っている中で、「制約のない」という文言を入れる必要はないはずだ。
もちろん「集団的自衛権の行使は違憲」なのだから制約もへったくれもない。
だがなぜこれがあるかというと民進党の推す領域警備法案は「制約付きの集団的自衛権の行使を認めている」からである。
つまり自民党案はダメだが民進党案ならOKなのである。
すると「憲法9条の改正に反対」の文章も『「平和主義を脅かさない」という条件がクリアされれば民進党政権下では可能だ』と読むのが正しいのではないかという論理が成り立つ。

そして憲法改正については次の公約もある。
未来志向の憲法を国民とともに構想します
そのまんま「憲法を変えていきますよ」と言っている。
これに憲法9条は明記されていないが違うとも書いていない。
書いてないならやらないのだろう、ではない
民主党時代は書いてあってもやらなかったのだ。やらないと信じる理由は全くない。
それにこの記事は憲法改正の記事であって9条改正の記事ではない。
憲法改正は民主党の公約なのである。

色々書いたが憲法9条についてはグレー記述の領域も多い。
しかし上記のように、民進党が憲法改正自体に反対だという話はデマである。
改正自体はすると公約に書いてある
残念ながら具体案は謎である。
ただ民進党が国民の権利を制限しないという幻想は棄てた方がよいだろう。
数年前に話題となった「特定秘密保護法」だが、これが議論され始めたのは自民党政権時代ではない。民主党政権時代である。
尖閣での衝突事件をきっかけに有識者会議も通過して国会通過は目の前であったのが民主党政権瓦解とともに先送りされて自民党が継続しただけの話である。
マスコミへの圧力に関しては"民進党お前が言うな"の一言で終わる話である。
昨日も岡田氏が都議選ではなく参院選に目を向けろとマスコミに圧力かけてたしね。
政治家がマスコミに苦言を申し立てるのは追い詰められているときだけなのだが、自民党にも民進党にもあまり余裕が見えないのが非常に悲しい。

憲法の如何なる文言修正も許さないとする人は残念ながら投票先はない。
ないのだ。
各党の公約をよく読もう。

誰もが後悔しない選挙が実現するといいなあとか お花畑な文章で締め。

2016年7月5日火曜日

選挙というのはより良い人を選ぶもの

なにか奇怪な論がまかり通っているようだ。
「○○党はダメだから××党に入れよう」
いや、まてまて。
その××党が○○党よりもっと悪かったらその理論はおかしい。
せめて××党は○○党より正しいとか少しはマトモだとか、なにか理由がないと変ではないか。
変というより、より悪い方を選んだら選挙の意味ないじゃん。
いい方選ぼうよ。

もちろん「いい方」の基準は千差万別である。
だがそれでいいのだ。
それを集計して多い方を選択していくのが議会制民主主義だ。
みんな一緒では意味がない。
もちろんみんなバラバラがいいのではない。
個々人が自らの意思を正しく表明できたかどうかが重要なのだ。
だからみんなが○○をいいと言ってるとか××が○○はダメだと言ってた、なんてのは、それは違う。
選考基準にするのはいいけど、それは本当なのか?を自分で考えるべきだ。
自分の意見と比べてみて言っていることが正しいと思える方を選ばねばならない。

もしかしたら有力候補への自己評価が100点満点中5点ほどしか付けられないときもあるかもしれない。
しかしだからといって単純に排除してはならない。
もしかしたら他の候補は3点や0点かもしれない。
消去法というのは全てに点を付けてから行うものである
ただ「○○が嫌いだからその他」という短絡的な選択では後で必ず後悔する。
それは「考えていない」からだ。

政権交代は「○○はダメかも」という単純な話で行われてしまうことがある。
××がもっとダメだったとしてもだ。
例えば先日のイギリスのEU離脱騒動がそうだ
いい加減な投票をした離脱派が文句を言っているが後の祭り。
後悔は先に立たないのだ。
「選ぶ候補は自分が正しいと思えることを言っているか」
それを考慮しなければならない。
それは主権を持つ国民の義務である。
そして先人たちが必死に守ってきた権利である。
これを子孫に伝えねばならぬ責務がある。

誰にも任せず、自分で考えよう。考え尽くそう。
そして自らの権利を示そう。
それなくして何が人か。