2015年2月22日日曜日

二階氏の訪韓は韓国への攻撃?

自民党の二階氏が訪韓し、慰安婦問題が解決していないこと及び産経新聞に問題があることなどを宣言した。
一見彼の行動は韓国を擁護しているように見える。
だが本当にそうだろうか。

日本は彼の不思議な行動があろうがなかろうが方針は変わらない。
認めるべきは認め、根拠なき中傷は認めない。
日本は何も変わらない
しかし韓国はそうはいかない
二階氏の発言があった以上「日本が認めないからちょっと譲歩してやった」とか「この問題は一時棚上げにしよう」という道は閉ざされたのだ。
日本の政治家が問題を認めているのに韓国政府が否定したら韓国国民からの反発は相当なものになってしまうだろう。
よって韓国はより強硬に慰安婦問題と産経記者投獄問題に対処して逝かざるをえなくなったのだ。
そう、逝かざるをえないのだ。
なぜならそんな強硬策はどの国も望まないからだ。特にアメリカ。次に韓国。
そして日本と話し合う道もない。国内世論と中国が認めない。
踏んだり蹴ったりである。

しかし正直な所こうなることは簡単に想定できる話だ。
となると二階氏は何のために訪韓したのか
彼は本当に日韓友好のために行動したのか?

まあ理由はどちらであっても個人的には彼を支持しよう。
面白いから。

日韓の国交が正常すぎる

最近日韓がお互いに言いたいことを言い合っている。
納得のいかないことに異議を唱え、解決を呼びかけあっている。
非常に正常な国交状態である。
国交正常化50周年バンザイと言わざるをえない。
この忌憚のない関係を今後も継続していくべきである。

ところがこれを正常ではないという不見識な人が多い。

国交とは国同士に交流があることである。
特に、大使を互いの国に置き合う状態だと一般的には国交ありと見なされる。
別に「国家元首同士が会談をしなければならない」とか「互いの意見に反論してはならない」などという条件は国交関係の判断理由には存在しない
現状では日韓は国交のある国同士であり「国交」という観点では何の問題もない。

ところが日韓の国交に関連すると「友好」という主観的なキーワードを持ち出す不見識な人間が日本国内に数多くいる。
なぜこれが問題かというと、これが「日本人独自感性」の友好であるからだ。
つまり「空気を読む」というもので、「友好とは与えるもので求めるものではない」、「他者に親切にすれば相手もそれを返してくれる」という外交的に非常識かつ非礼な理論でできているからである。
外交とは明日ではなく何十年何百年先を見据えて行うもので、そこでは意に沿わなくても強硬に望まなければならないときも意に沿わぬ条件を飲まねばらなぬときもある。
しかしそれはお互いを国として尊重しあい、疑いも信頼もできる仲であれば継続していける関係なのだ。
ところがここで一方の国が一方的に相手国を嫌ったり一方的に気味の悪い譲歩をし続けると関係は簡単に壊れる信頼すべき根拠がなくなるからである。
相手を一つの国と認めるのであればこそお互いの意見交換をしなければならないし、根拠なく相手国を否定したり譲歩してはならない。
つまり根拠があるのなら相手国を否定したり譲歩するのはありなのである。
どちらもあってこその「交流」である。どちらかの一方通行だと「交」ではない。
まあ大した話ではない。社会常識レベルの話である。

日本で日韓友好を掲げる者はなぜか相手国の否定を認めない。
しかしそれは韓国への侮辱であり国交および友好への敵対行為である。
今現在、日韓の国交は正常である。
いまだかつてない正常状態である。
とりあえず日本国内で意味不明な友好論を唱える者たちがいなくならない限り日韓健全友好化は非常に難しいだろう。それが目的であるなら的確な行動だけどね。