2016年7月5日火曜日

選挙というのはより良い人を選ぶもの

なにか奇怪な論がまかり通っているようだ。
「○○党はダメだから××党に入れよう」
いや、まてまて。
その××党が○○党よりもっと悪かったらその理論はおかしい。
せめて××党は○○党より正しいとか少しはマトモだとか、なにか理由がないと変ではないか。
変というより、より悪い方を選んだら選挙の意味ないじゃん。
いい方選ぼうよ。

もちろん「いい方」の基準は千差万別である。
だがそれでいいのだ。
それを集計して多い方を選択していくのが議会制民主主義だ。
みんな一緒では意味がない。
もちろんみんなバラバラがいいのではない。
個々人が自らの意思を正しく表明できたかどうかが重要なのだ。
だからみんなが○○をいいと言ってるとか××が○○はダメだと言ってた、なんてのは、それは違う。
選考基準にするのはいいけど、それは本当なのか?を自分で考えるべきだ。
自分の意見と比べてみて言っていることが正しいと思える方を選ばねばならない。

もしかしたら有力候補への自己評価が100点満点中5点ほどしか付けられないときもあるかもしれない。
しかしだからといって単純に排除してはならない。
もしかしたら他の候補は3点や0点かもしれない。
消去法というのは全てに点を付けてから行うものである
ただ「○○が嫌いだからその他」という短絡的な選択では後で必ず後悔する。
それは「考えていない」からだ。

政権交代は「○○はダメかも」という単純な話で行われてしまうことがある。
××がもっとダメだったとしてもだ。
例えば先日のイギリスのEU離脱騒動がそうだ
いい加減な投票をした離脱派が文句を言っているが後の祭り。
後悔は先に立たないのだ。
「選ぶ候補は自分が正しいと思えることを言っているか」
それを考慮しなければならない。
それは主権を持つ国民の義務である。
そして先人たちが必死に守ってきた権利である。
これを子孫に伝えねばならぬ責務がある。

誰にも任せず、自分で考えよう。考え尽くそう。
そして自らの権利を示そう。
それなくして何が人か。

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