2014年6月29日日曜日

左翼とは平和主義者の意味ではないし右翼は戦争を望まない

どうも「右翼」の意味を戦争賛成派と誤認させたい風潮があるようだ。
ナンセンスである。

そもそも右翼左翼とは
「政治を保守的に運営するかそれとも革新を求めるか」の分類であって戦争容認は全く関係ない。
"自分が国を造るなら"と空想してみれば分かるのだが、軍隊とは本来自衛力である。
最初から他国を侵略する戦力が必要なら、その国造りは根本的に失敗している。
これは思想が右翼であろうと左翼であろうと同じである。

さてつまり、もちろん「左翼」に戦争反対派という意味はない。
左翼とは非権力主義であり行き着く先は共産主義である。
共産主義を真面目に追求すると非生産的な「軍事力」は無用の長物である。
しかし戦力が無い国は滅亡してしまうのも歴史上明白だ。
よって国家主導で富国強兵せざるをえなくなる。
ここまでは右翼主導の強兵順序と同じように見える。
ところが歴史的に明らかなように、左翼主義者は他国の情勢を鑑みない。
隣国との協調はなくただひたすらに「国を守るべき正当な軍事力」を備えようとするので軍事費はどこまでも膨張していく。
なぜか?
「国を守るべき正当な軍事力」が数字に直すと∞(無限大)であるからである。
結果として左翼は右翼よりも軍事力を求める。
今のところ歴史上なぜか例外はない

話を戻すが、右翼であろうと左翼であろうと「国の存続」は共通の概念である。
国を守る」という意識は同じなのだ。
それがないのは「テロリスト」であり右翼でも左翼でもない

問題は集団的自衛権を考えるときに「国を守る」という意識をきちんと考えているかどうかである。
それを考えずにただひたすら賛成や反対を強弁する者は右翼でも左翼でもない。
意見を述べるなら「不測の状況でどのような根拠でどのような行動をおこすのか」を明確に示す必要がある。
少なくとも安倍総理にはその姿勢が見える。
反対派には安倍総理よりも有意義な反論が求められる。
そうして”より正しい意見”を選択していくのが民主主義である。
反論無く反対だけする人間は民主主義では必要とされない。

どちらにしても国家観のない議員にはバッジをつける資格はないと思う。
本来は憲法的に賛成か反対かではなく日本国として正しいか誤りかで議論ができないとおかしい。
その点で持論のない議員は早々に辞任して頂きたいものだ。国の恥である。

しかしこんな議論は当然予測できただろうに、
9条原理主義者たちは反論を何も考えていなかったのだろうか。
正直残念である。



2014/07/01 追記
ちなみに自由主義かリベラルかは右翼左翼とは全く別の話である。
それにしても、軍事力の話で右翼左翼の分類がでてくるのも変な話だと思うのだけど、レッテル貼りが大好きな日本人的には自然な流れなのかね。

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