2015年1月19日月曜日

つまようじ事件から見えるテレビのクズっぷり

彼の目的は「少しでも多くの人に動画を見て貰いたかった」それだけだった。
それは私には初めから明らかに見えた。
少なくともペットボトル窃盗が自作自演であることが明らかになった時点で確実だった。
だがテレビは事件の報道をやめなかった
なぜか。
「少しでも多くの人に動画(番組)を見て貰いたかった」からである。
彼の目的がテレビ関係者に分からないはずがない

彼の目的が他者に動画を見せることなのだから世のためを考えたら彼の報道をしないという行動が正しい。
それが彼にとって一番厳しい処断であるのはマスコミ関係者が最も分かるだろう。
だがマスコミは正義や世のためにあるのではない。そう金のためにあるのである。
そしてテレビは彼と同じ行動をとった
必然である。
だがもし彼が武器を持っておりテレビの報道により視聴者が不用意に近づいたらどうするのか。テレビの報道により発生した模倣犯による被害をどう考えるのか。

少なくともテレビに彼を責める権利はない。
五十歩百歩ですらない。同列である。
しかしマスコミはこれを反省しない。
なぜなら反省するところなど無いからである。
彼らは仕事をしただけで誰にも迷惑をかけてなどいないと考えているからである。
恐らく正義を果たしたとも考えているかもしれない。
本当に怖ろしい。
これはフランスの事件といっしょで、報道の自由については考えられるがその責任まで考えられないことが要因である。
ただこれはマスコミの存在要件でもあり、直ることは絶対にない。
全ての責任問題を考えていたら記事は書けないし書けても売れない。
しかしマスコミにはどこまで煽ってよいかという感覚が求められる。
最後はモラルの問題でしかない。

長々と書いたが要は「ニュースや記事は疑った方がよい」と言うだけの話。
なんかズレたな。





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