2015年6月11日木曜日

自衛権が違憲かどうかの議論がなぜないのだ

なんだか集団的自衛権が違憲かどうかという話になっているようだ。
が、それは憲法の解釈問題でしかない。
合憲違憲の問題では全くない。
日本はなぜか自国の自衛権を認めている。
その自衛権がどこまで認められるかという話でしかない。
これは違憲かどうかという話ではない。
ただの解釈の問題だ。
そもそもの話を以下に記載したい。

根本的な問題は第九条である。
【第九条条文】
1.日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

上記条文を素直に読むと「いかなる戦力も保持が認められない」。
これは戦争をするしないにかかわらない。条文の文言から明白である。
で、これではマズイというので「自衛権のためなら戦力保持OK」とした。 当然だが第九条に戦力保持がOKになる条件などは全く記載されていない。
自衛ならOK? どこにそんなことが書いてあるのだ。
だが日本政府は「書いてないからOK」などというムリを通した。
骨抜きである。
さて重要なのは、なにが問題でこんなムリを通したのか、ということだ。
要は日本が守れないのだ、戦力がないと。
しかし自衛隊だけでもムリだったので日米安保条約を結んだほどである。
もうこの時点で第九条もなにもないのだが、なぜかいまだに神聖視されているのはなんでなのかね。宗教?
いまだに松本氏を崇拝する元オウム信者に聞いたら分かるのかね。

話が逸れたが要は、厳密に言えば既に違憲状態なのである。
憲法に記載されていないことを実行している状態に日本はあるのだ。
しかしこれを「自衛なら戦力保持&使用OK」として合憲状態にしてしまった
自国の防衛を矛盾する概念に委ねたのだ。
アホである。
ここで一応戦争をしない宣言のためか、個別的自衛権のみOKとしたのが一片の良心らしい、が。
世界的には個別的と集団的を特段区別しない。それらは同じであるからだ。
どちらも自衛権なのである。
他国が攻撃されていることが自国の不利になるのであればその国を助ける。
これは戦争ではなく自衛権なのである。
国際憲章第五十一条に沿った話である。

よって憲法解釈の話をするなら「自衛なら戦力使用OK」が日本の現状である。
あとは「自衛」がどの範囲かの話でしかない。
違憲かどうかは問題ではないのに焦点にするので話が堂々巡りするのだ。
そうではなくて自衛権の範囲の問題だ。
「集団的自衛権は違憲」というのは誤りだ。
「集団的自衛権によって国際紛争を解決するのは違憲」は正しい。
なんかそこんとこ勘違いしている人が多い。
集団的自衛権=戦争とか言っている憲法学者は異星人にしか見えない。
全ての国が個別的自衛権しか認めない星を想像してみたらしい。
一国で制御出来ないテロ組織が出てきた時点で全国家が壊滅である。
集団的自衛権がないならかえって戦争はやり放題だ。

ここまで読んでも私が集団的自衛権賛成派だと思う人もいるかもしれない。
どう読めばそうなるのか分からんが。
憲法への個人的な見解としては「戦力(自衛隊)の保持は違憲」である。
第九条はどう読んでも陸海空軍その他の戦力の保持を認めていない。
だがこれは上記したとおり骨抜きになっている。
そうなると解釈の問題しか残らない。遺憾だが。
武力をもって威嚇又は侵略、国際紛争の解決等を実行すれば違憲だ。
あとは歯止めの問題だ。
 

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