2015年6月6日土曜日

戦争を反省したなら日本は連合国側で努力すべき

70年前に日本は戦争に負けた。
日本は二度と戦争をしてはならない。
これは正しい。
日本が二度と戦争をしなければ世界は平和である。
これは間違い。
戦争を始める国や組織は日本の事情など全く斟酌しない。
ここを勘違いすると再び戦争を招くことになる。
防御のみに徹するという姿勢が戦争を引き起こす可能性もある。
そのときそれは戦争を引き起こす行為となる。
日本は再びその過ちを犯すのか。

ではどうすべきか。
70年前に日本は戦争に負けた。
誰に負けたのか?
アメリカを中心とした連合軍である。
多くの国が国境を越えて手を結び、ファシズム陣営に立ち向かった。
それは誤りだったのか。
これが誤りなら日本は何も戦争から学んでいない。
彼らは戦争で相手国を滅ぼすために戦ったから平和を取り戻せたのではない。
彼らは戦争を終わらせて平和を取り戻すために戦ったから平和を得たのだ。
日本はそれに加わらない?
では一体戦争で何を学んだというのか。

戦争を始める国や組織は日本の事情など全く斟酌しない。
戦争を起こさず平和を維持するにはそれ相応の努力が必要なのだ。
「日本だけよければそれでいい」という考えでは実現できないはずだ。
全ての国がそのような考えであったなら連合軍はもっと苦戦していただろう。
そして戦後に日本が平和になったのは偶然にすぎない。
連合軍の望む日本の形が今であったにすぎない。
再び戦争が起きたとき、勝利するのが日本の信じる連合国とは限らない。
そうなれば日本には滅亡か奴隷化の道しかない。
そうなってから平和のために戦えばよかったなどと寝言を言っても遅いのだ。

憲法は国とその国民のためにある。
憲法を守って国が滅ぶなら憲法に間違いがあるのだ。
だからこそ日本は明白な戦力である自衛隊を保持し、憲法に記載されていない個別的自衛権などといった国際法にない概念を恣意的な憲法判断で認めてきたのだ。
すでに憲法を厳密には守っていないのだ。
憲法論で判断するならすでに違憲状態で間違いない。
だがそれは平和のためだった。
それが平和憲法の趣旨であると考えてきたからだ。
憲法を守って国が危機に陥るならその趣旨を曲げることになる。

平和とは戦争がないことだ。
だが戦わないことではない。
日本が戦争を起こさなくても世界は平和ではない。
日本が平和のためにできることを考えるべきだ。
それが開戦と敗戦を体験した日本が取るべき義務だろう。
少なくとも「日本だけよければそれでいい」ではないはずだ。

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