2015年5月14日木曜日

平和に背を向けてはならない

平和とはなにか。
日本が戦争を仕掛けなければ平和か。
それでどこの国も戦争をしないのか。
どこの国も戦争を仕掛けてこないのか。

他国が苦しんでいるのをただ見ているだけなのは平和主義か。
世界各国が団結する輪から外れて日本の平和は守れるのか。
実際にどこかで戦争が起こったとき憲法9条を考慮して攻撃されない保証はあるか。

平和なのは戦争がないからだ。
それは戦争を仕掛けない、だけではない。
戦争を起こさせない不断の努力も必要なのだ。
日本はそれをアメリカに依存していないか。
アメリカが世界から手を引く中、日本の立ち位置を早急に決めなければならない。
むしろそれが決まっていないのは問題ではないか。

戦えばいいのではない。だが守るために戦う必要があるときはある。
その境目を決めるのは日本国民でなければならない。
与党が行き過ぎたときは選挙によってその裁定が下されるはずだ。
これは与党に対する抑止力にならないのか。
ならないのなら民主主義は既に崩壊している。

昨今の法改定がすべて正しいとは言えない。
だが戦うことなく平和は守れない。
これは人間が動物である以上、真理だ。
問題は程度だ。それが問題だ。

しかし「戦うくらいなら死を選ぶ」は認められない。
いったい敗戦に何を学んだのか。
それは神風特攻隊と同じ心理だ。
自殺者と同じ心理だ。
死の美化に意味などない。
その死の先に平和などない。
それは平和主義ではなくただの諦めでしかない。
それは平和を放棄する主義だ。
それだけは認めない。
同じ理由で他の国がどうなっても日本だけ無事であればいい、も認められない。

方法論の差はあれ、平和のために戦うべきだ。
それが日本国憲法に記された平和の精神だと思う。
問題は程度だ。それが問題だ。
だが日本国民は二度とそれを間違わない。そう思うし、そう信じていく。

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