平和とはなにか。
日本が戦争を仕掛けなければ平和か。
それでどこの国も戦争をしないのか。
どこの国も戦争を仕掛けてこないのか。
他国が苦しんでいるのをただ見ているだけなのは平和主義か。
世界各国が団結する輪から外れて日本の平和は守れるのか。
実際にどこかで戦争が起こったとき憲法9条を考慮して攻撃されない保証はあるか。
平和なのは戦争がないからだ。
それは戦争を仕掛けない、だけではない。
戦争を起こさせない不断の努力も必要なのだ。
日本はそれをアメリカに依存していないか。
アメリカが世界から手を引く中、日本の立ち位置を早急に決めなければならない。
むしろそれが決まっていないのは問題ではないか。
戦えばいいのではない。だが守るために戦う必要があるときはある。
その境目を決めるのは日本国民でなければならない。
与党が行き過ぎたときは選挙によってその裁定が下されるはずだ。
これは与党に対する抑止力にならないのか。
ならないのなら民主主義は既に崩壊している。
昨今の法改定がすべて正しいとは言えない。
だが戦うことなく平和は守れない。
これは人間が動物である以上、真理だ。
問題は程度だ。それが問題だ。
しかし「戦うくらいなら死を選ぶ」は認められない。
いったい敗戦に何を学んだのか。
それは神風特攻隊と同じ心理だ。
自殺者と同じ心理だ。
死の美化に意味などない。
その死の先に平和などない。
それは平和主義ではなくただの諦めでしかない。
それは平和を放棄する主義だ。
それだけは認めない。
同じ理由で他の国がどうなっても日本だけ無事であればいい、も認められない。
方法論の差はあれ、平和のために戦うべきだ。
それが日本国憲法に記された平和の精神だと思う。
問題は程度だ。それが問題だ。
だが日本国民は二度とそれを間違わない。そう思うし、そう信じていく。
0 件のコメント:
コメントを投稿