2012年8月29日水曜日

原子力発電の懸念:推進派が議論しないこと

原子力発電はエコである。
環境を害しない発電方法でありエネルギー効率もよい。

はい。嘘ばっかりです。
燃料となるウランの採取場は広大な死の土地を作り出し続けており、
採取段階で二酸化炭素出しまくり、廃炉した原発は死の棺桶、
吐き出した廃棄物も数万年は開けられないパンドラボックスです。
いや、パンドラの箱には希望も入っていたので比喩として適当でない。
ただの超有害廃棄物でした。
これをエコと呼ぶなら原爆もエコロジーな兵器と認識せざるを得ないところです。

エネルギー効率についても原発建設中は盛んに言っていたけれど、
廃炉が始まると鳴りを潜めることうけあい。
国内で処理できなければ国外から大層にボッタクられることでしょう。
分かってないなら無能すぎ。
そして今はそれがコストに含まれていないという原発エコの事勿れ主義。

ちなみにウランの埋蔵量は約547万トン(資源エネルギー庁試算)。
世界需要が年に7万トンほどだから80年しないうちに枯渇する計算。
原発の寿命が60年程度なので、今後新規に建設などしていくと
元が取れないまま燃料が尽きて死の棺桶だけが並ぶ寒い光景が広がるでしょう。
まあそれを観光地にするという奇策もありかな。

福島の事故は人災だったから発電所は大丈夫ってのも鼻で笑える話。
物理構造的な欠陥は直せるけど、人間の欠陥は直せないんですよ。
だから機械で人の作業を補助するんじゃないですか。
つまりあれが人災であると認めるということは次の災害も防げないと認めてしまうことなのです。
むしろ推進派にとっては事故原因は構造的欠陥でなければいけなかった。

まあ原子力発電に未来がないのは明らかですが、不幸なことに世界は資本主義的に動いています。
金がすべてってことです。
理屈なんてどうでもいいんです。
戦争が終わらないのと同じ理由です。それで稼いでいる人達がいるのです。

しかし幸せになる人がいる裏で不幸になる人もいるってのは普遍的な世界の話ですが、
人を不幸にすることで幸せになるって話は全く違うと思うんです。
道徳心を失うなら人類の存在意義などないのですから。

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