2012年9月19日水曜日

「もんじゅ」の名付けに無理があった件について

福井県敦賀市の高速増殖炉「もんじゅ」の名称についての話である。

「もんじゅ」の名称は文殊菩薩に由来している。
文殊菩薩は智慧を象徴する菩薩である。
「もんじゅ」は原子力という大きな力を人の知恵と知識によって制御し、
人類の幸福に役立つ物にするという意味が込められている。

お気づきになっただろうか。
そう「知恵」と「智慧」の文字が違う。
致命的な誤りである。
例えるなら生と死くらい違う。

「智慧」とは悟りに至るための道の一つであり明確な定義はない。
ただそれは物質に囚われた業や煩悩とは逆の観念であることは間違いない。
物の本質とはそこにあることではなくそこにあると観測することでもされることでもなく、
ただこの世界のありようなのであるが、それは思考を捨て去った悟りの境地にのみある。

で、「もんじゅ」がやっていることだが知識と煩悩にまみれたゴミの生産である。
「もんじゅ」が示す知恵とは嘘と欺瞞と隠蔽と金に他ならないが、
どこに文殊菩薩に由来する要素があるのか全くの謎である。
「もんじゅ」のいう知恵と知識とは仏教でいう「業」である。
それは物に固執して所有する欲より生まれて人を滅ぼすものである。

そもそも人の力で世の理を制御しようという考え方が欺瞞以外の何者でもない。
「もんじゅ」の名付けには仏教界の人間も関わったらしいが、俗世に染まりきって悟りとは遠い境地に辿り着いたらしい。
まあ悟りは業を捨て去った先にある真理を得ることなので、業を「もんじゅ」に置き換えるなら意味は通る。
ただそれなら文殊菩薩の名を冠するべきではなかった。
残念としか言いようがない。

原子力開発と仏の道が交わるわけないのだが、ちょっと書いてみたかった。

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