2013年1月17日木曜日

私は橋本市長を支持する[暴行容認高校への対応]

マスコミは橋本叩きをしたいようだ。
どのマスコミも論調を明らかにせずに罵り合いのみを面白おかしく報道している。
だが本当に責められるべきは誰だろうか。
何を正していくべきなのだろうか。

今回の暴行事件は学校も教育委員会も承知をしていたのに誰も止めるものがいなかった。
暴行教師は問題外だが指導をしない学校も教委も問題外である。
組織として機能していないことが示されている。
校長や委員長といったトップが腐っている場合、もっとも危険な対処がトカゲの尻尾切りである。
当然同じことが繰り返されるのは自明の理であり歴史の常である。
対処療法では絶対に問題は解決しない。
ではどうすればよいか。
このような場合は組織の一新が必要となる。
トップの入れ替え、管理職の刷新、校風の是正。
これらは最低条件であろう。
ところが学校という所は管理職位が少ない。
その場の空気である「校風」に流されて動くのが常識となっている世界である。

ここまでくればもう教員の一括刷新しか対処法がないのは明らかである。
「生徒に不利益が」などという意見もあるようだが、機能不全組織に放り込まれる生徒の人権はどうなるのか。生徒を守るより優先されるものなどあるはずがないだろう。

生徒を守り育てるのが学校の役割であるのだから。


2013/01/19 00:30 追記
この事件を「教師個人の過失」という議論にすり替える記事を見た。
個人の過失だから全員処罰するのはおかしいのだそうだ。
しかしこの事件には、現場の暴走や上司の指示ミスよりも重要な問題点が存在する。
全ての人間が問題を共有していたのに解決せずに無視&隠蔽したという組織の腐敗具合である。
これは絶対に対処療法では解決できない。
そもそも問題が出たときに正しく解決していればこんな大きな話になどならなかった。
いまさら影響が大きいから修正できないなどという言い訳は通用しない時期なのである。
起こった事態を矮小化して次の被害者を出すような意見は片腹痛い。
まあ被害者が出るのを必然とする論調ならそういう意見もあるだろう。それならすり替えではない。

2 件のコメント:

  1. 私も、橋本市長を政治家としても、応援していますが、前回の朝日新聞の橋本さんの記事といい、今回の桜宮高校の入試の件といい、マスコミは、あきらかに橋本さんばかりを、あたかも、考えが暴走しているかのように、報道しすぎていると思います。
    もちろん、考えの違う方や、マスコミにすぐ賛同して、橋本さんに対して、批判する人も、いるでしょうが、橋本さんは、それをあえて覚悟の上で、厳しい対処をされていると思います。その心情は、とても、大変なストレスだと同情します。でも、それぐらい高校の教師や、校長、教育委員会が、間違った心で、学校の名誉や、教師の生命を重んじたばかりに、体罰ならまだしも、暴力ではないですか?生徒が死んでいるのです。生徒や、親も暗黙に従がっていたのです。根本的に学校全体を変えないと、また、数年後、同じような事が、きっと、おきます。人が、亡くなるということは、行政処分になり、学校もなくなり、こんなに、大騒ぎになって、大変な事なのですよと、教師、校長、教育委員会、生徒が理解するべきです。そして保護者は、子供の進路を本当に思うならば、他のよい学校に行かせるか、桜宮高校にどうしてもいかせたいなら、学校が、根本的にかわるまで、しっかり、検討して、子供に諭すべきです。いくら、スポーツがで有名な学校に合格しても、就職する前に殺されてしまえば、意味がありません。何のために子供を高校に行かせるか、もう一度親なら、考えられた方が良いと思います。亡くなった生徒さんも、もし、生きていれば、花が実り、ここまで、ひどい体罰を受けていなければ、よい体育の先生になられていたかも、しれないのです。この真髄を橋本さんに向けられるのは、本当に日本のマスコミは、残念です。

    返信削除
  2. 私も、橋本市長を支持しています。
    今回の桜ノ宮高校の件で、私が一番驚いたのは、マスコミも教育委員会も学校関係者もこの問題の本質をまったく見ていないことです。

    「体罰」・・これの是非にばかり終始して(もちろん、物理的に自殺の原因になっているので重く受け止める必要はあると思う。)けれど、なぜ体罰が当たり前のように常態化し、なぜ、誰も彼の苦しみを理解できなかったのか?なぜ、人が(自分たちの仲間が)命を絶ったのに、じぶんには関係の無いことのように感じて、早くクラブがしたいという発言が出来るのか?
    あまりの想像力の貧しさに、今の教育現場の異常さを感じて危機を感じるとともに、恐ろしささえ覚えるのです。


    マスコミの報道の仕方にも、疑問を感じます。
    橋本市長は、この問題を真摯に受け止め、責任を負ったからこそ入試の決定を決め、改善をしたいと本気で誓ったからこそどんな批判があろうとも、一歩も譲歩しなかったと思うのです。

    なのに、マスコミはその真意も無視し、受験生がかわいそうだ!在校生はどうなるんだ!という稚拙なことばかりを報道し続け、問題の本質をちっとも解明しようとしていないことに、本当にあきれ返りました。

    この問題の本質は、今の教育現場では子供の命よりも優先されるものがあり、問題が起こったときには隠蔽され、たくさんの人が関わっているのにもかかわらず、みな見て見ぬふりをしているということが、常態化しているということだと思います。

    これは、今の社会の問題でもあると思います。
    みな、自分には関係の無いこと、他人事のように思っていますが本当に関係の無いことでしょうか?

    物理的には関係が無くても、子を持つ親として、同じ学生として、同じ社会に生きるものとして、自分がもし当事者になったらとは考えないのでしょうか?

    もし、自分の子供が自殺してしまっても、その高校の入試をやめないでと、あの先生を変えないでと言うのでしょうか?クラブ活動を早く再開してというのでしょうか?

    それとも、自分の子供は絶対に死なないと思っているのでしょうか?

    保護者の意識もおかしいと思いますし、在校生の意識もどこかずれていると感じます。

    これでは、命より優先されるものがあると、教えているようなものです。

    命を絶った彼の命は救えた命なのです。
    直接的な原因は、体罰でも、本気で彼の思いを聞き、違う道や方法があることを彼に示せなかった学校現場に責任があり、また、そのような学校であると知りながら、何もしなかった教育委員会にも責任があり、その教育委員会を作った行政にも責任があり、その行政に異議を唱えない私たちにも責任があると思うのです。

    問題の根が深いときは、表面的に対処しても同じことを繰り返すだけです。
    この問題の根は、大津のいじめ問題にもつながっています。

    だからこそ、もう一度、この社会に生きるひとりの人間としてこの問題を考えてほしいと思うのです。

    返信削除